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かたが こる

車内で本を読む人の話


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文化の日の箱根


たぶん行きの列車で車窓を眺めつつ斜め読みしていたのがレイモンド・チャンドラーロング・グッドバイで、そのおかげでトンネルを抜けた先の集落の近くに聳える化学工場だとかひと気のないニュータウンだとか、果ては登山列車から覗く山道やスイッチバックの行き止まりの薄暗い駅、あたかも秘境であるかのように振る舞う温泉街なんていう風景を歩き回る背の高い探偵の影ばかり探す旅でした。

そもそもの目的は箱根で1110まで行われていたスイーツフェスティバルに乗っかって、季節の甘味をだらだら食べ歩きたいという何でも無い理由、それにたまたま降って湧いた休日が重なった感じで。

でもとにかく美味しい旅行だったのは間違いありません。強羅公園内の明るい洋式レストランの窓際で柑橘の香りのするスポンジケーキを頬張り、ケーブルカーの行列の手前で買った温泉饅頭を齧り、ロープウェイに並んで北条早雲始め戦国大名たちの複雑怪奇な対立事情を語り合う祖母とその孫の会話を背後に聞きながらチューインガムを転がし、早雲山の噴煙を横目に黒卵アイスクリームを舐め、遊覧船を降りた元箱根で箱根神社にお参りした帰りに木立の囲う静かなレストランで(食べれもしない)肉料理とチョコレートケーキを二つ注文して、箱根湯寮の温泉につかったあとでどこから出て来たかよく分からない蜜柑の皮を剥きました。こいつがどうしてこのタイミングで出て来たのか、どうして温泉の送り迎えサービスのバスの中で喚く親子連れの声を背景に焦ってうまく剥けない皮を引っ掻いていたのか全く思い出せないんですが、まだ寒くなりきっていないせいで少しだけ酸味の残る味を舌先に感じながら今日は楽しかったなぁと真っ暗な戸外を見て素直に思えたことを覚えているだけで満足です。

ちなみに小説は読み終わりませんでした。帰りの電車、到着してからも暫く居眠りしていたサラリーマンが出発十秒前くらいに慌てて飛び出して行ってから、列車が騒々しい仕事帰りの人びとを飲み込み、吐き出し、また飲み込み、腹が少しだけ膨れた状態で最寄りの駅に着くまで、喧騒を避けて活字に没頭する振りをしたり眠りこける振りをしたりいろいろやってみたんですが結局何を全うすることもなく私は帰路につきました。最高の一日でした。