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かたが こる

冬と眠る人の話

 どうしても眠れない夜は、自分がそのままベランダへ出て行って、塀を越えて向こう側へ墜落する想像ばかりしていた。思春期の私は二段ベッドから下りていく際の梯子のひんやりとした感触や、窓へ辿り着くまでに自らが普段使っている椅子の背へ触れる感覚、施錠を解いて裸足のままざらついた外気へ身を浸し、洗濯竿の無いところまで慎重に歩いていく様子を鮮明に頭の中へ思い描くことが出来た。それから暫し生まれ育った街の夜の姿を堪能する。頭の中で作り上げた満天の星空と月明かりに照らされて、下世話で騒々しいこの街はてらてらと発光している。余所者には碌でもないとレッテルを貼られがちだが、それでも確かに自分の両親が出会い、腰を落ち着け、自分たち家族の拠点となった土地である。しかし感慨は微睡みの中で大した意味を持たない。結局私は冷たく分厚いコンクリート塀へ手のひらを押し付け、力を込めて不器用にも自らをその上へ持ち上げ、躊躇も戸惑いも無く、最後まで引っかかっていた爪先をだらりとさせることで、逆さまになって駐車場の裏口へ続く人気の無い路地へ落下していく。

 そんなことを繰り返し念じていれば必ず眠気は私を抱き込んでくれる筈だと信じていたし、実際にその期待が裏切られたことはない。内容は何でも良かった。ただ、私はベランダというか、外の空間での物語のほうが好きだっただけだ。転落でなくとも、最終的に私が死んでしまうストーリー仕立てであるなら、それは自分を死と瀬戸際を共有する眠りの世界へ限りなく近づけてくれた。

 

 アラスカまで行って、その大地の果てに一体何があったのか振り返ると、結局、そこには何も無かったというのが一番正しい。氷点下三十度を下回る仄暗い闇の中で、街灯りに浮かぶ空を反射して光る雪の世界で、多分、私は文字通り思考を凍らせて、そして温かいロッジのキッチンで、意味の無いラジオ番組の流れる送迎の車内で、コンセントの見つからなかった列車で、凍り付いた大河を見下ろす飛行機の中で、全て一瞬のうちに溶かしてしまった。だから何も残っていない。二月、帰国したばかりの自分はそう記している。

 四月の私が漸く辿り着くように、自分の生活と切り離された何か、全く異なる生き物たちの息づかいを飲み込むためには、それなりの思索を必要とするのだろうと思う。私は夏のアラスカを見なかった。冬、大半の動物が休眠し雪原の深みへ身を隠し、凍えた木立の間を潜って雪の重みで不自然に曲がった枝を助けてやる毎日だった。だから私の中のアラスカは、多分次に訪れる機会がやってくるまで真っ白な景色のままだ。例えば柔らかな雪に包まれてひっそりと呼吸をする茂みだったり、線路の左右に引き裂かれたムースの親子が必死に膝までの雪をかき分けて我々から遠ざかっていったり、灰色と水色の境目くらいの色合いに凍り付いた美しい川の傍に残されたウサギの足跡だったり、その土地には確かに私の日常とはかけ離れたもう一つの時間が存在していて、彼の地から戻って以来、私は就寝前のひと時を今も変わらぬ生態を守り続けているのであろう彼らの姿を想像して過ごすようになった。

 アラスカは東京とは違う。もっとずっと遠くで、何千年も前にアリューシャン列島を境に分たれた歴史の彼方で、今も我々とはかけ離れた生活が針葉樹林の向こう側に広がっている。彼らは極寒の試練の季節を、分厚い衣類に包まり、たまに狩猟へ出かけ、温かい家族の団欒のうちに古い伝承を語り継いで暮らしている。庭先では僅かな食料を探し求めてムースが古い雪を踏み分け、嘴の白い美しい鳥がじっと世界を見つめ、そしてその様子を、悠久の時を経て超人的な力に君臨するノーザンライツの光が更なる高みから見下ろしている。

 私が雪を払ってやり、不格好に立ち上がったあの枝はどうしているだろうか。ある日アジアの島国からやってきた観光客の一挙動で、これから数百年の彼の生き方が不意に転換されてしまったということはないだろうか。そうした数秒に思える瞬間の積み重ねで、彼らの長い年月は形作られているように思う。それは宇宙に似ている。砂漠にもにている。沈黙するデナリの影にも似ているし、凍り付いたユーコン川の静けさにも似ている。そんな事を考えながら、今日も私は眠りにつく。