b.

かたが こる

棋譜をだらだら並べる人の話

家の中の重たいものをなるべく片付けてみた。夏の装いとまではいかないけれど、それなりに季節を渡る準備に取りかかれたはずだ。頭上を渦巻いている困難に関して授業で聞いて思った事があったので書こうと思う。

恋とはどんなものかしらと言った時に、相手の特別な存在になること、相手の物語の主要人物になりたい(あるいは私の物語の主要な登場人物になってほしい)と願う事だと講師が定義していた。なるほどそうだと思って、同時に何だか苦しくなった。自分は人から見られるというより比較されることについて大袈裟なくらいの恐怖を感じていて、それが相手に身を委ねきってしまうことを畏怖させているんだと思ってる。親から受けた愛情を誰かに体現しようとして、それが結果的に意味も有耶無耶な贈与の形になっている。傷つくのが怖いし裏切られるのが怖い、実際のところ告白さえしたことがないくせに。

考えていることがあって、自分は将来万が一子供が出来たとしても、絶対に本なんて読ませるものかと思っている。この妄想癖、取り越し苦労、臆病な自分の性が本当に憎い。物語のパターンを頭に染み込ませてしまったせいで。思い切って未知の状況に飛び込んでいく勇気があったら、人生は変わったんじゃないかといつも悔しくて悲しい気持ちになってしまう。

でも、三年後期から始めてみた「受けの良い」女子大生像は多分、自分は気に入ってないというか、きついんだと思う。そろそろ止めても良い。自分に素直な反応をしようと授業を聞いてから思った。相手が何を考えるかを読み取るのも必要だけど、でも上辺だけ取り繕ったってどうせぼろが出るから、それなら素顔で向き合った方が良いんじゃないかなあ。恋に関しても。友達に関しても。誰に関しても。